生い立ち(その4)

その後、親父が病院に運ばれて命に別状はなかったが、しばらく薬の影響と錯乱状態でまともな行動が取れなかったとか、そして中学入学早々、ついにはその状態で姉とぶつかったらしく、もちろん女が男に勝てる訳もなく、親父が姉をDVしたとか(自分が寝てた時に起きてたらしい)その後の姉の主張いわく、殺されかけたと代理人を通して証言してたらしい、(ここからは個人の感情だがうちの姉ほど性格悪くて自分がかわいいと思ってる人はいないと思う)話は戻るが、その後、母親の通報で親父は逃走し姉は警察の方で引き取られた!そして家に残ったのが、母と俺だけになってしまった(親父がたまに家族の様子を見に帰ってきてた)その時は、中学1年生の前半頃だったかな、母親は居間でお酒を飲んで眠くなったら布団に潜り家事も何もしなくなっていた、その後、親父が自首することになり、家の前で手錠をかけられてる連れてかれる親父を見るのは正直辛かった!毎日泣きわめいたが別になきわめていてたところで何も変わる訳が無い。次の日から学校休むようになってとりあえず料理以外の家事と母の介抱をすることにした、ご飯は、母が親父からお金を預かってたのでそれで毎日コンビニ弁当で乗りきっていた、学校にはほぼ不登校だったが生活に余裕がある日(母が飲んでない日がたまにあったので)は学校に行ったり、早退したりしていた、先生とかにも家庭の事情を話したら、『顔色悪いし栄養足りてないんじゃないの』と言われ学校で朝食をつくってもらったりしてもらってたな、家にも様子を見に来てくれて『児童相談所に行こう』って言われてたが何回も断ってたし母からも1人にしないでみたいな事を言われたので辛かった、しかし誰にでも限界があるものだと思った、何回目かの訪問で疲れ果てた自分は先生の力を借りて一緒に児童相談所に行くことを決めた、さすがに疲労もピークで栄養失調だった・・・


生い立ち(その3)

俺が小学生高学年の時だったかな家庭が崩壊しだしたのは?最初は兄と親父の喧嘩に始まり(兄が母親に暴力)が原因で、兄が家を飛び出し一人暮らしを初めて、親父も転職したことで帰りが夜中になったり次の日の朝になり、家にいるのはほとんど母と、姉と、俺の3人になってしまった、そして変わらず母は酒癖悪くお酒きらしたからお酒買ってこいの一点張り、で唯一小学生の俺だけ帰りが早かったから家に2人だけの時間が多くなった、食事は、姉か仕事がない時は親父が作ってくれてたが、その生活も長続きはしなかった。

姉と親父は、母親に頭を抱えてたし姉に関しては年頃だから反抗期もあって母親にも当たりだした、何より1番ストレスを感じていたのは親父であると思う、仕事終わり帰ってきて母親は親父に好き放題いい、姉も帰りが遅くなったり、好き勝手に過ごすようになり、よほどストレスを、溜め込んでたのだろう、遂には親父が母の薬の睡眠薬を大量摂取(ODって言うのかな?)して自殺を試みたのだが、この大量摂取したことによって自分の人生が元々からちょっと狂ってたけど、ここから大きく狂いだしたと言っても過言ではない、昔から思ってたのだかこの段階で俺がもっとしっかりしていれば、力があれば何とかなったのかもしれないと思ってる!(続きは明日)

生い立ち(その2)

ちょっとだけ兄と姉のことを書こうと思う、やっぱり血の繋がりがなかったのか、もうそれはそれは不仲だったよ笑、兄と姉で仲悪いし俺のことに関してはまぁ色々あった、まぁ2人とも俺の面倒は見てくれてたけどそれでもちょっと酷かったなw姉は俺を化粧とか着せ替えとか人形みたいに扱ったり、兄からは格闘ごっことか言われてボコボコに殴られたり、兄が言うジョークを笑わなかったりしたら殴られたり、親父が仕事帰ってくるのが遅い日と早い日があって親がいない時によくそういうことされてたな〜、で唯一親父だけがそういうのを止めてくれたり、可愛がってくれてたな!もちろん兄と姉も可愛がってくれる時もあったよ!相変らす母親は朝から夜まで飲んでたけどw

その時までは姉が家の事をよくやってくれたな〜、今思えば普通の暮らしがどういうのか分からないけど、俺からしたらあれがまだ普通の暮らしだったのかもと思ったよ!

生い立ち(その1)

早速語っていこうと思う、自分の産まれは正直なところ自分でも分からない、母が奄美大島の産まれ、育ちであることから奄美大島ってことにしている。
自分は2男2女家族の末っ子として生まれてきた、福岡育ちで、その頃はしらなかったが、複雑な家庭環境の中で育った。母親はバツ2で俺が胎児の頃からアルコール依存症であり、兄と姉とは種違いであり、また兄と姉も種違いだとか!義兄義姉ということになる、そして自分の親父と出会う前の親の影響で母親がお酒に溺れはじめ兄と姉だけ普通に産まれ育ち、自分は生まれつきの肝臓の持病と少しの発達障害(学習障害だとおもわれる)持って生まれてきた!
親ガチャからもう失敗してるじゃねーかってこれを書き出して思った(笑)でも、親ガチャの失敗もこれから語っていくことも今となっては恨んでいない、今更恨んだところで時を巻き戻せる訳でもないしね。

生い立ちについて(その前に)

ここからは自分の生い立ちについても語ろうかなと思う、自分語りはあまり好きではないが、お酒に逃げるきっかけになったのも生い立ちにも関係があり、せっかくブログを始めたなら、自分みたいな悲しい人生を送ってきた人を出さないためにも、これから成人になり結婚して家庭を作る人、もしくは小さいお子さんがいる人たちに見てもらえるとありがたい、そして自分みたいな人間を出さないで欲しい!



一安心

今日夕方に看護師に呼ばれて一緒に談話室みたいなところに案内されたんだけど部屋に入ったらビックリ!部屋の中に看護師5人と主治医と親がいて椅子まで案内されてなんかそこから今後のことについて主治医の話が始まったんだけど、親父の(ドナー)の検査があとひとつ残ってるんだけど(この前引っかかって延期させられたやつ)体重の関係で引っかかってたんだけど今じゃそれもクリアしてるからあとはもう一度その検査を受けるだけなんだが、他の項目は全部クリアしてるらしいからもうほとんど3割の確率クリアしたようなもんですよって先生にいわれた!でもまだ手術が100%の成功率じゃないから油断はできませんと言われたけど、とりあえず一安心(*´ω`*)

毎日やけ酒して医者の言う事聞かずだったからな〜、先生に『1月運ばれてきた時はもうダメだ』って思ってたらしい、自分に言いたい、生きてて偉いとwww

あの部屋…

今日、散歩してて待合所みたいなところに患者さんの親族ぽい人達が大人数で面会待ちしてたんだけど、今いる病棟にナースステーションの出入口から1番近くて唯一面会が許されてる個室があるんだけど、その部屋にぞろぞろと親族の人か1人ずつ入って行くんだけど何となく状況が察せた、仏様との面会だということに、そして半年前なら自分も同じ個室で目を覚まして奇跡的に回復したからよかったけど、自分もあーなってたかもしれないと思うとぞっとした、あの部屋の意味がわかった気がするよね・・・