生い立ち(その7)

中二の夏頃、母親もお酒を控えるようになり、ちょくちょく施設に面会に来てくれたり、家に帰らせても問題無いということで外出外泊の許可がおりるようになった。

母と外出したり買い物とかも連れて行ってもらって、誕生日の祝えてもらってなかった分のプレゼントなど買って貰って喜んで施設に帰った数週間後の事だった・・・職員達が企画してくれたキャンプを楽しみ施設に帰りついて片付けをみんなでしていた時だった。

何故か俺だけ職員に呼ばれ、ついて行った先で職員に言われた言葉が『昨日母親が・・・亡くなりました』と告げられた・・・

一瞬何を言われたのか理解できなかったむしろ職員の悪ふざけかと思ったぐらいだ、しばらくしてやっと言われた言葉が理解出来たが、理解したくなかった。

涙が止まらなかった箱ティッシュ1箱分使い切るほどに涙が止まらなかった、唯一の望みだった家族でまた生活するという事が不可能になったのだ、その時点で自分の中にある何かが切れた感じがした。

母の死で親族が集まることになり、長期の外泊許可がおり、葬儀と火葬が行われ、母の故郷である奄美大島に骨壷を持ち帰ることになった。