闘病生活

その後はありえない生命力で回復して、今では、病院内なら普通に生活できるほどに。目を覚ました当初は寝返り打つ時でさえも看護師にやってもらってた。

俺が倒れてからは、手術することを決断し、そこからが大変だった。

まず手術を受ける条件は半年間の禁酒だった、そこから闘病生活始まりかもしれない。

肝性脳症、肝不全によって色々な制限がかけられた

行動範囲、食事、飲み物など、後は就労不能になったことかな、まぁでも仕事は、簡単な書類の作成とかで何とか職場に属すことが出来ている。

色んな治療を受けながら制限も守りつつ、あともう少し、後は、親父の来週の検査結果を待つのみだ!

命の危機(その後)

その後、聞いた話だが、朝から息子の様子がおかしかったため午前中で仕事を切り上げて家に帰ってきたら家が異常に散乱してたらしく、自分のベットで寝ていた俺は、親父のベットでうつ伏せでぐったりなってたらしく俺の中でかすかに意識があって覚えてたのが、ものすごく焦りながら救急に電話する親父の声ぐらいかな、後は、隊員の呼びかけと救急車中での隊員の呼びかけかなw

その後は、病院に着いて即ICU(集中治療室)に運ばれて危篤な状態だったらしく、遠くに住んでる身内も駆けつけたとか、先生言わくその時は、このままだったら1週間も持たないと言われたらしい

それで23日に目を覚まし、病院に着く前のところからもう意識がなかったw

命の危機(始まり)

20211月半ばについには、会社の人からも心配されるようになり、会社の人は事情を知ってたので、そこから会社はしばらく休んで病院にいけと言われそこからまた通院が始まった。

しかしもう通院しても手遅れだった。131日の朝突然の事だった。普通に朝起きて生活していたのだが、ここから聞いた話もはいってくるが、体調がいつもより悪く、親父もそれを察し、大人しく寝ろと言われベットに戻って寝ようとしたのだが、ベットから親父に声をかけて寝る前に伝えることがあったので伝えようとしたが何を伝えようとしたのかが自分でも分からなくなり、と言うよりかもう脳が働かない状態になり、御手洗に行こうとして起き上がってもふらつきが酷く倒れてしまい自力でベットに戻り眠りに着いて、親も仕事があるので仕事に出かけた

諦めの始まり

そこからはもう何も考えることなく、どうせ10年後に死ぬなら、やりたいことをやって死にたいと考えになり、さらにアルコールの暴飲が過激した(もちろん昼間は働いて)

色んな人の静止を無視して20代後半になり自覚症状などなかったが、202012月頃に体が浮腫だしたり、少し動くだけでものすごい倦怠感に襲われ始めた。そして年末になり体の異常がピークを迎えてそこからはもう手遅れなのはわかってるが禁酒をはじめた。

難病なのかも?

もうひとつの検査は、その病院ではやってないと言うことになり、違う病院で検査入院して見てもらったところ、肝臓の中に銅が検出されたという事で、稀にしか発症しないウィルソン病という難病の疑いもでてきたが、今のところ発症の原因も不明だ。

元々医者からには不治の病と言われており、移植しかないと言われた、23歳という若さで余命10年ぐらいだねとも言われており、手術するしかないと思って、東京大学医学部附属病院にも行き手術はいつ頃ぐらいから受けれるのか?とかの詳しい話を聞いたが、まだ先が長かったためにあまり詳しく話も聞かず勝手に手術費が高いと思ったのか、家にはそんな金がないってことで手術を諦めることになった

病気に向き合ってた頃

その後、大学病院に受診し。もっと細かい検査を受けた結果、やはり肝硬変という事で病名の原因の検査と診察を日に日にちょっとずつ繰り返した結果3つの可能性が浮上した、親の話では生まれつき肝臓を患ってたらしくそのせいなのか、それともストレスで毎日過度の飲酒を繰り返したためなのかで2つ出てきたがもうひとつは次の話で書くことにしよう。(アルコール性の肝硬変にしては歳が若すぎるということで可能性は低かった)

病気の発覚

20157月頃、胃痛が酷いという事で仕事の休みをもらい近くの診療所に受診した、胃カメラなど色んな検査を受けたところ、十二指腸潰瘍と診断されたのだが病気はそれだけではなかった!

CTなどの写真を見せられ肝硬変の症状があると言われ、そこで病気が発覚し県内の大学病院に紹介されたのが始まりだった。